くりと、続・計算尺
先日、片付けの時に出ていた「日本小型飛行機株式会社」奈良井工場の続きのお話を
奈良井宿、鎮神社の前あたりにグライダー工場があったのだと。現在の「カフェ深山」さんの辺りには飛行機工場の事務所があったとの事で・・・・

りんご、くり、松茸、アイダテのピンク色 空の色が澄んで綺麗のなるはず 木々はすっかり夏の力強さを弱め秋色へと変わり始め
紅葉シーズンには何とか世の中も良い方向へ移り変わっていれば良いのにと願っております。
奈良井宿、鎮神社の前あたりにグライダー工場があったのだと。現在の「カフェ深山」さんの辺りには飛行機工場の事務所があったとの事で・・・・
聞き取り調査~

あれから更に片付けをしていたら出てきた写真がこちら 何気なく見過ごしたこの写真、後ろに映ってる看板の文字を虫眼鏡で見てみたら・・・・・

何年に撮られたのかは不明なのですが創立記念日と。 工場の方なのか、事務所なのか?・・・・。私は事務所ではないのかと思うのですが。 お隣のおじさんは94才。写真を持ってお話を聞きに。
奈良井に府中製作所とつながりのある方がいたそうな。そんでもってその関係で奈良井に飛行機工場ができたんだと。木製のグライダーを作っていたんだと教えてくれた。なので、「風立ちぬ」ではなく「紅の豚」のイメージ?なのでしょうか(笑) その話があまり伝わっていないのには終戦の複雑な「何か」があるからなのか?と思いっきり勝手に想像してみたり
戦争中で漆の仕事や菓子屋も仕事がなかったので湖月堂のおじいちゃんもここに働きに行っていたんだと教えて頂きました
先日出て来た「計算尺」とは別の物がもう一つ出て来て

風立ちぬのように設計とか?グライダーの?なんか?ストーリー、出来ちゃうのでは?などと戦争を知らない世代が何を、と言われてしまいそうですが・・・・・
計算尺の裏に主人のお兄さんの名前が(笑)。 しかも「松高」と・・・・・。ウフ、それを見て感動していたのはチビ介だった(笑)
高校生が使っていたものだった訳ですね
。計算尺の謎が判明いたしました(笑)
ちなみに木製グライダーは「檜で作っていたとか?」って聞いたんだけど「材料が何だったかは分からないな~」って隣のおじさん。しかしながら古い白黒のアルバムに目を通せばそれがどこの誰だとしっかり分かるおじさん、「まだぼけてないか?」と聞かれたので120才まで大丈夫とお答えし、まだまだお元気でいて欲しいと願うばかりでございます。
人の暮らしに歴史がある事、住んで暮らしてここで生きて来た方々の「日々」が歴史になってる事、古いアルバムに残っておりました
実家から栗

昨年は確か・・・・・ 送って来なかったので注文しておいた(笑)
渋皮煮にして送ってあげようと、行ったり来たりの栗でございます 
多分父が、自分の畑で採れた栗を食べたいのではないのだろうかと 急いで取り掛かります
先日、お仏壇の前に丸まった新聞紙が・・・・ 
初物をありがとうございます 御心遣いに関しやしつつもどうぞ今シーズンも何事もなく秋を楽しんで頂きたいと思います
アイダテにピンク色の花芽が出て来ました








2021年09月09日 Posted by湖月堂 at 14:38 │Comments(0) │日々の事
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